ヤハウェの御霊

「YHWHは生きておられる」

 

旧約の民の宣誓句、いわば決まり文句は「YHWH(主)は生きておられる」である。これをヘブライ語で「ハイ  アドーナーイ」という。「ハイ」〔hay〕は形容詞なので、直訳すれば「生きているYHWH」。この生かす力(活力)こそ、ヤハウェの御霊、イエスの父の御霊である「聖霊」なり。※原文のYHWHの読みは、岩波版訳「詩篇」の「補注 用語解説」の「ヤハウェ」の項に書かれている「yehwah (イェフワー)」で良いと思う。

 

ところで、聖書の面白いところは、矛盾があってもそのまま出ていること。出20:5で「妬む神」と訳されているが(口語訳)、その「妬み」はパウロがガラテヤ人に対して「肉の業」の一つとして述べている(5:21)。逆にみれば、ヤハウェは「生ける神」と言える。

以下は、山我哲雄著『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩書房)の第3章「ヤハウェという神」の「ヤハウェという神名」(p100~)より引用。

<アラビア語などの他のセム系言語でもそうであるが、ヘブライ語では元来は子音字しか書かなかった。なぜそれで読んだり理解したりするのに問題が生じないかというと、日本語の漢字の多い文章も振り仮名なしで読めるのと同様に、読み慣れさえすればさして支障は生じないのである。ただし、固有名詞の場合には、漢字文でもしばしばそうはいかない(「吉川」は「よしかわ」なのか「きっかわ」なのか)。ヘブライ語の場合も同様である。イスラエルの神の名前(固有名詞)は、YHWHに当たるヘブライ文字四字で表された(一〇三ページの表の④)。この神名は、古い時代には、祭儀などの際に高らかに唱えられたらしい(出三15、三四5-7等)のだが、十戒(本書二七八ー九ページ参照)の第三戒(出二〇7)に神の名を「みだりに」唱えてはならないとされていることなどから、時代が進むとユダヤ人の間で次第に神の名の発音が敬遠されるようになり、聖書の朗読などに際してはこの「神聖四字」を「わが主」を意味する「アドナイ」の語や「御名(シェム)」の語で読み替えるようになった。そのような習慣が二〇〇〇年以上も続いたため、この神名の元来の発音がユダヤ人自身にも分からなくなってしまったのである。現代の研究では、母音字を伴うギリシア語文書などの表記により、元来の発音がほぼ「Yahweh」、カタカナで書けば「ヤハウェ」ないし「ヤーウェ」であったと復元されている。なお、文語訳などで用いられた「エホバ」の語は、元来の発音が不明であったころ、YHWHの子音字にその読み替えである「アドナイ」の母音(a,o,a)を無理やり当てはめた「イェホヴァ」に由来し(ヘブライ語の音韻規則上、最初の母音「ア」は「Y」音の後ろでは短い「ェ」に変わる)、現在では一般的には用いられていない(キリスト教の一派にはこの表記に固執するところもあるが)。神の固有名詞を発音しないこのユダヤ教の伝統は、後にキリスト教にも取り入れられ、聖書を翻訳する際にも、神聖四字は「主」に当たる語(ギリシア語では「キュリオス」、ラテン語では「ドミヌス」、英語では「ロード(Lord)」)で訳されるようになった。日本で現在、よく用いられている「新共同訳」でも、神聖四字が地名の一部をなしている一箇所(創二二14の「ヤーウェ・イルェ」)を除外として、神聖四字は「主」の語で訳してある。名詞には通常、何らかの意味がある。例えば「アマテラス」という神名は、「天を照らす」という、この女神の太陽神としての特性を表している。ところが、「ヤハウェ」という神名の意味や語源については数多くの仮説があるが、定説はないというのが最も適切であろう。そもそも「ヤハウェ」という語はヘブライ語からはうまく説明できず、おそらくはヘブライ語起源ではない。一部の研究者はそれを古いアラビア語の「吹く」という動詞と関連させ、この神がもともと嵐の神であったことの名残であると論じ、別の学者はそれを古代シリア語の「落とす」という動詞と結び付け、この神はもともと「雷神」であったと主張するが、学識ある思いつき以上のものとはいえない。ただし、旧約聖書にはただ一箇所、この「ヤハウェ」という神名をヘブライ語から説明しているように読める箇所がある。それは、モーセが初めてヤハウェに出会い、イスラエルをエジプトから救い出すように命じられる、いわゆる「モーセの召命」の場面(出三章)に含まれる。(中略)新共同訳が「わたしはある。わたしはあるという者だ」と訳した原文は「エヒイェ・アシェル・エヒイェ(略)」で、「ある」の一人称の形「エヒイェ」が二つ、関係代名詞「アシェル」で結ばれている。英語に訳せば、そのまま「I am who I am.」となる。未完了という動詞の形は一般に、過去の一回的な行為や出来事ではなく、現在起こりつつある出来事や未来の行為を表すので、「I will be who I will be.」と訳す場合もある。最初の動詞を本質規定、二番目の動詞を存在規定と解して直訳すれば、「わたしは、『わたしは存在する』という者である」ないし「わたしは、『わたしは存在するだろう』ところの者であるだろう」となろう。いずれにせよ、謎めいていて神秘的な表現であることは確かである。それでは、この「ヤハウェ」という神は、いつ頃からイスラエルで崇拝されるようになったのであろうか。この問題を考える際の一つの手がかりとなるのが、人名である。古代のセム系の人々は、子供に名づけをする際に自分の崇拝する神の名を織り込むことが多かった。(中略)イスラエル人やユダヤ人の名前には、「ヤ」や「ヨ」で始まったり、「ヤ」で終わるものが多いが、そのほとんどは「ヤハウエ」の名の要素を含んだものなのである。(中略)ところで、興味深い現象がある。実は、創世記でイスラエルの祖先とされるアブラハム、イサク、ヤコブはもちろんのこと、イスラエル一二部族の祖先とされるヤコブの息子たちの中にも、ヤハウェの名の要素を含んだ人名(以下では「ヤハウェ系人名」とする)を持った者は一人もいないのである。それどころか、そもそも創世記にはヤハウェ系人名は一つも出てこない。(中略)何よりもまず、イスラエルの前史の早い段階では、ヤハウェという神がまだ知られていなかったということを示唆する。(中略)それでは、旧約聖書に登場する人物で、はっきりしたヤハウェ系の人名を持つ最初の人物は誰であろうか。実はそれが、モーセの後継者でありカナン制服の指揮官でもあったヨシュアなのである(名前の意味は前述のように、「ヤハウェは救い」)。この「符号」は、極めて意味深長である。(中略)ある伝承によれば、彼のもとの名前はヨシュアではなく、ホシェアであった(民一三16)。ことによるとヨシュアは、ヤハウェ崇拝への最初の「改宗者」の一人であったのだろうか。(中略)もし、一方では王国時代のヤハウェ崇拝が圧倒的に優勢で、他方でそれ以前の最初期のイスラエルでヤハウェという神が知られていなかったとすれば、ヤハウェ信仰以前にこのイスラエルはどんな神を崇拝していたのであろうか。それを考える際のヒントも、「イスラエル」という名自体にある。(中略)ヤハウェ信仰以前にイスラエルでエルという神が崇拝されていたことは、ここでもまた人名研究によって裏付けられる。(中略)王国時代以前にはヤハウエ系の人名が少なく、王国時代になるとヤハウェの名が圧倒的に多くなる。(中略)王国成立時代まで見てみると、ヤハウェ系よりもエル系の方が三倍近くも多いことが分かった(中略)少なくともイスラエルの初期の時代には、エルの崇拝が優勢であった。(中略)いずれにせよ、このシケムの「エル・エロヘ・イスラエル」が、やがてヤハウェと同一視されて「ヤハウェ・エロヘ・イスラエル」(イスラエルの神、ヤハウェ)となったのである。(中略)このヤハウェとエルの同一視ないし習合に関連して、とりわけ興味深い場面が創世記一四章に見られる。「エル・エルヨーンの祭司」であったメルキゼデクは、明らかに自分自身の神によってアブラハムを祝福したのであるが、文脈上アブラハムは、その神を自分の神ヤハウェと同一視したことになる。ここには、おそらくダビデ時代以降、ヤハウェとエル・エルヨーンが同一視されていった経過が反映されている。「エル・エルヨーン」はイスラエル以前のエルサレムで祀られていた神であったと推測できる。その際に、エルとエルヨーンがもともと別の神格であった可能性もある(イザ一四14等参照)。その場合には、「エル・エルヨーン」はすでに「エル」と「エルヨーン」が習合したものだったということになろう(中略)ヤハウェはもともとパレスチナ南方の嵐の神であり、特定の集団に結び付いてこれを守り導く神であったが、それがやがてイスラエルの民族神、国家神となったと考えられる。これに対し、創世記一四章では「エル・エルヨーン」が「天地の造り主」と呼ばれている。(中略)ウガリトの神話でもエルは世界の創造神であった。「エル(・エルヨーン)」と習合し、同一視されることによって、ヤハウェはやがて創造神としての属性を身に受け、より普遍的な意味と性格を持った神として観念されていくことになったのであろう。> さらに山我氏はヤハウェ神のルーツに関して「ミディアン人の神? カイン人の神?」(p138~)で以下のとおり述べておられる。 <モーセの義父エトロは「ミディアン人の祭司」であったというが、どんな神に仕える祭司だったのであろうか。モーセが出エジプトに成功したことを聞いて、エトロは、モーセたちが滞在していた「神の山」に訪ねてくる。そこで犠牲をささげて祝宴が行われるが、その際に祭儀を司るのはモーセでもなく、イスラエルの祭司の祖先とされるその兄アロンでもなく、「ミディアン人の祭司」であるエトロなのである(出一八1-12)。この箇所では「神(エロヒーム)」の語が用いられているが(同12節)、犠性がヤハウェに捧げられたことは文脈上明白である。それゆえ、エトロはもともとヤハウェに仕える祭司だったのであり、ミディアン人の崇拝していた神ヤハウェが(モーセを介してかどうかは別として)イスラエルに伝えられた、という可能性を考えることができる。これは、ヤハウェのミディアン人起源説ないし単純化して「ミディアン人仮説」と呼ばれる。モーセの義父については、異伝も存在する。別の箇所では、この義父はミディアン人ではあるが、「レウエル」という名前になっている(出ニ18、民一〇29)。ただし、士師記一章16節、四章11節によれば、モーセの義父はケニ人ないしカイン人で、「ホバブ」という名であった。ケニ人ないしカイン人も、パレスチナから見て南方を活動地とする遊牧的な集団で、後のイスラエルとの関係は友好的な場合(サム上一五6)と敵対的な場合(民二四21-22)があり、複雑であった。前述の「デボラの戦い」でイスラエルに敗北したハツォルの将軍シセラは、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込んで、彼女に殺された(士四17-22)。彼女の英雄的な行為は、「デボラの歌」の中で最大級に絶賛されている(士五24-27)。アダムとエバの息子の一人として有名なカインは、おそらくこのカイン人の名祖(一族の名のもととなった祖先)である。周知のように、現在ある物語では、カインは弟アベルを殺した人類史上最初の殺人者として極めて否定的な人物として描かれているが(創四1-16)、他方で彼はヤハウェの加護を受け、そのために特別な「しるし」を与えられていたともされる(同15節)。そこで、一部の研究者は、カインないしカイン人こそ最初のヤハウェ崇拝者だったのであり、後にそのヤハウェ信仰をお株をイスラエル人に奪われたのではないか、と推測する。これが「カイン人仮説」ないし「ケニ人仮説」と呼ばれるものである。ミディアン人もカイン人も、パレスチナ南部から北西アラビアまでを活動領域とする未定着の遊牧民ないし牧畜民であり、似たような生活環境にあった。ことによると、彼らの間に何らかの直接的な関係(一方が他方の一氏族であったというような)があったのかもしれない。ヤハウェは、もともと、この地方のさまざまな遊牧集団が共通して崇める神だった可能性もあり、その中の一部が後に北上して「イスラエル」に加わり、ヤハウェという神の崇拝を伝えたということも考えられる。ヤハウェが出エジプトの神であったということと、ヤハウェがパレスチナから見て南方の遊牧民、牧畜民に崇められていた地方的な神であったということは、相互に他を排除する仮定ではない。ここで考えておくべきは、実際にエジプトから脱出した集団は、おそらくは特定の閉鎖的な民族集団ではなく、エジプトで同じように奴隷的な生活を強いられていた、混成的な集団であったろうということである(出一二38)。多くは外国出身で、エジプト人としての正式の身分を持たず、建築活動などに従事していた下層階級の人々は、エジプトで「アピル」と呼ばれた。この語は音声学的には、青銅器時代の末期のカナンで不穏な動きをしていた「ハビル」(七五ページ)にほぼ対応し、「ヘブライ」という概念とも関連すると見られている。いずれにせよそれは、特定の民族集団に属さず、社会の下層にあって、通常の社会秩序の外で活動を行う――――あるいはそのような活動を強いられる――――人々を指す社会的な概念であった。出エジプト集団のうちに、もともとパレスチナ南部の牧畜民出身でエジプトに下り、そこで「アピル」になった人たちがおり、それが「出エジプト」に加わってエジプトを脱出した後、それを自分たちの伝来の神ヤハウェの救いの業と信じたという可能性が考えられてよい。たとえそうでなかったにせよ、出エジプト集団がエジプト脱出後、放浪を続けるうちにパレスチナ南部の荒野にいたヤハウェ崇拝者の牧羊民の集団と出会い、何らかの形でそれと合流し、統合したということがあったのかもしれない(民一〇29-32)。さまざまな可能性が考えられるが、それらを実証的に検証することはできない。前章の最初に記したように、牧羊民や遊牧民は碑文も考古学的痕跡も残さないからである。いずれにせよ、「イスラエル」では当初、ヤハウェという神が知られていなかったことは確かである。それが王国成立時代の前後に知られるようになると、それまでの「イスラエル」の中心的な神格であったエルと習合し、ヤハウェ系の人名の圧倒的な増加にも示されているように、この神の崇拝がイスラエルの中ですさまじい勢いで広がっていったのであろう。>(※「アピル」の「ピ」はPIで、「ハビル」は「ビ」はBI)

ちなみに、NATIONAL GEOGRAPHIC CHANNELの番組「覆る聖書の常識」では「シャス」という民族名が出てきた。<「出エジプト記」によれば、モーセはエジプト人を殺しエジプトから逃亡してミディアンの地へ赴く。そこでミディアンの祭司の娘と結婚し、羊飼いをしている時にYHWHと出会う。カルナック神殿の壁に刻まれた記録によれば、その時代、ミディアンの近くにはシャスという民族が住んでおり、彼らのすむ土地の名前がYHW(ヤフ)。崇拝していた神もYHWという名だった。地名と神名が一致する例はエジプトでもよくあるパターンで、たとえばバストの町の守護神がバステト(またはバスト)だったりする。>

http://55096962.at.webry.info/200905/article_4.html 

 ※あとで顧問の旧約学者に訊いて調べたところ、次のような見解だった。 <たしかにYHWをヘブライ語と比較するとYHWHのうちの三つの子音字にほぼ一致するが、はたしてこれが本当に「ヤハウェ」の神名なのかどうかは、エジプト学者や旧約学者の間でも論争の的になっている。何しろ外国の文字で書かれたものなので、正確に対応するかどうかがはっきりしないからである。ヘブライ語もエジプト語も子音字しか書かないので、YHWが本当に「ヤフ」と読まれたかどうかも不確か。「イフウ」とも「ヨヘウ」ともいかようにも読めるからだ。このテキストからは、「YHWのシャス」と呼ばれる集団がいたことは分かっても、「崇拝していた神もYHWだった」とはどこからも言えない。重要なのは、同じテキストに「セイルのシャス」についての言及があるということ。「セイル」は明らかにパレスチナ南方のエドム人が住んだ土地の地名である。語構造が全く同じなので、「YHWのシャス」の場合もYHWの語は地名ではな いかという説が有力。だから上記の山我氏の著書でもこの説は取り上げられてはいないのだろう。ただし、学者の中には、YHWがもともと地名であることは認めながら、それが二次的に神名となったと主張する者もいる。類例として、ギリシアの町の名「アテネ」が女神「アテナ」になったり、アッシリアの首都の「アッシュル」がそのままアッシリアの主神の名になった例を挙げる。しかしこれにくみしない学者の方が主流だろう。そもそも聖書関係でテレビで放送されるようなものにはセンセーションをねらった怪しげなものが多いので、注意が必要である。>

 

ユダヤ人は十戒の第3戒(出エジプト記20:7)に従いYHWHの名を口にせず、「主人」や「主」を意味する「アドーナーイ」と読み替え、その母音符号をつけて発音した。これはYHWHのみに用いる発音であり、その他の場合は「アードーン」である。「アドーナーイ」の母音をYHWHにあてはめると「ア」が「エ」になる。これは有音シェヴァ〔orシェワー〕であり、この場合の「ア」は4つの喉音にしかつかない複合シェヴァのハテフ・パタフだからである。複合シェヴァは喉音以外では単純シェヴァになる。そうすると「エホヴァ」(yehowah)とも読めることとなり、17世紀初めの欽定訳聖書(KJV)ではYHWHをJehovahと訳した。BHSではYHWHに「名」を意味する「シェマー」の母音を当てyehwahと表記している。いずれにせよ多くの学者は人名の分析などにより、YHWHの元来の発音はyahweh〔「ヤハウェ」、「ヤーウェ」など〕とみなしている。その在り様は、特に出エジプト記3章でモーセの前に現れた神についての記述に示されている。それは14節の「わたしはある」という言葉であり、これはehyeh(=ヘブライ語の「エフイェ」「ハーヤー」〔hayah/ある、いる、なる〕の基本語幹パアル1人称単数未完了形)である。邦題『ヘブライ人とギリシャ人の思惟』を書いたT・ボーマンによれば「ハーヤー」には存在だけでなく、生成、活動をも表わす意味があるという。これは「神」の何たるかを示す言葉と解される。14節の「エフイェ/アシェル/エフイェ」の文語訳は「我は有て在る者なり」、口語訳は「わたしは有って有る者。」となっている。雨宮慧司祭は一文として訳す立場である。<この文章はふたつに分けて訳されているが、原文は3つの単語からなるひとつの文章である。つまり、動詞「私はあるだろう」のあとに関係代名詞が置かれ、最後に動詞「私はあるだろう」が繰り返されている。奇妙な文章だが、動詞「ある」は「・・・・になる」の意味にもなるから、「私はなるであろうものになるだろう」と訳すことができる。つまり「お前がどこにいても、そこに私はいるだろう=私は常にともにいる」の意味だと考えられる。>と述べている(『図解旧約聖書』〔ナツメ社〕p7879)。ehyehを3人称にして「彼はある」としてもyihyehとなり、YHWHではなくYHYHになる。同様にYHWHがHYHのヒフィル形〔=使役と作為に用いる語幹〕で「存在せしめる者」の意味だという解釈においてもyahyehでYHYHとなりYHWHにはならない。綴りが似ているだけでは語源とは言えない。しかし私自身は、「存在せしめる者」がまさに「神」の名の意味として相応しいと思う。とにかく聖書から示される「神」の固有名はあくまでもYHWH(ヤハウェ、ヤーウェ)である。

 

「御霊」について

<ヤハウェの「霊」は預言者や支配者に付与される特別な能力の源泉(サム下二三2、他)。>(岩波版創世記〔月本昭男訳〕6:3aの注 p15)

創世記6:3 (a) <ヤハウェは言った、「わが霊が人のうちに永遠に留まることはないであろう。」>(b)<彼もまた肉なるもの〔に過ぎないの〕だ。彼の生涯は百二十年であろう」。>

 

日本人はその「活ける力」をもっぱら自然界に感得して偶像崇拝の神道と呼ばれる宗教が発生した。これとは対照的に、<旧約の民は神の「生ける力」を自然よりはむしろ歴史と人間集団において見い出した>(『新聖書大辞典』p331)のである。自然現象は主なる神の顕現媒体としてみられ、日本人の自然宗教とは次元を異にする。H.W.ヴォルフは「ルーアハ」(ruah)を、<風、息、生命力、()霊、心情、意志の力>、この6つに分類している。そして意味としては、<自然の「風」>と<人間に与えられる「霊」>(他の動物にも与えられるとされている)との中間に<息>があることになり、しいて「ルーアハ」に最も近い日本語を一つあげるなら、「気」(大気、気息、生気、霊気、気分、意気)であるといわれている(『聖書ヘブライ語』第3号参照)。
私も、「ルーアハ」理解の中心が「気(力)」だと思う。特に「生命力=生気」である。これこそが、YHWHとの関係にあることの最大最上の益であり意義であろう。

 YHWHが霊・魂を媒介して与え給う活力によって生かされ、そして引き取られて死ぬ、これがYHWH信仰者の一生である(詩篇104:29~30、コヘレト3:19~21、12:7)。罪を背負った人間の定めとしての死であり土の塵に返る・・・、それはけっして虚無ではない。YHWHの存在に於いては「空」はあっても「虚無」は無い。自分に生命を与えられた真実の主にして唯一絶対の神YHWHの御意による死である以上、そこには確かな意味が有る。

旧約聖書の「ルーアハ」(ルアッハ)の意味や用法など厳密に調べても信仰生活にはあまり意味は無い。聖書からは教理を導き出すのではなく生き方を示されるのであるから大掴みでよいのだ。言語学的には色々言えるだろうが、要は、YHWHの働きかけである。広い意味での働きが「ルーアハ」であり、それが様々な作用を自然界に、そして人間に対して生起させる。ヨハネによる福音書の「神は霊なり」(4:24)は旧約聖書では語られていないが、ヘブライ人においてS(主体)とV(行為)とが分かれていなかったともいわれるので、「神」と「霊」、YHWHとその働き・作用である「ルーアハ」とを論理的に分ける必要もない。ちなみに「ヤハウェの霊」はヘブライ語では語順が逆になり「ルーアハ・YHWH」となる。
<旧約聖書が神の霊に言及する場合に、何か単一のかたちがはっきりとあるわけではない。(中略)ルアハのもとの意味は、おそらく空気の変動と関係していたと思われる。しかし、この語源のゆえにルアハという語は、「風」「息」「生命」を含めたきわめて多様な意味を持つことになった。更にルアハは、人間の「霊」や「自己」、さらにはわたしたちが「気分」や「気質」と表現する事柄にあてられるようになった。(中略)ルアハは、自然的ないし超自然的な力、威力、勢力、エネルギーと関係するべきものである。(中略)古代のヘブライ人たちは、今日のアフリカの多くの村人たちのように、「心の中に」存在するものと「外から」去来するものとの間に、わたしたちが知っているような明確な区別、あるいは直截的な区別を設けなかったと思われる。(中略)人間であろうが、動物であろうが、あらゆる生物はネフェシュ、すなわち「血塊」blood-soulを持つ(したがって殺された動物の血を飲むことが禁止されるようになった。つまりその血は、神への捧げものとして注ぎ出されるべきものであった。レビ17・10-14)。(中略)わたしたちはルアハとネフェシュとの間に、あまりに絶対的な区別を設けるべきではない。さらにわたしたちは、旧約聖書があたかも人間を肉体と血塊(ネフェシュ)と霊(ルアハ)に分ける、単純で便利なパターンを示しているかのように、ヘブライ的心理学を過度に体系化するべきではない。時代が進むにつれ、それまで血塊としてのネフェシュに注目していたのに対し、人間の人格的自己の中心としての人間のルアハに一層焦点があてられるようになったと考えられる。(中略)神御自身のルアハのように、あるいは神が新しくする人間のルアハのように、「〔神の〕霊 Spirit」あるいは「〔人間の〕霊 Spirit」と訳されるべきかが論点である。この二つの意味は、きわめて密接に関係しているがゆえに、どちらか一方を主張するということは、著者の心の中には、そのような仕方では存在しない区別をテキストに読み込むことになるであろう。(中略)ヤーウェのルアハは、ヤーウェ御自身から切り離すことはできない。ルアハは、今この場におけるヤーウェの生ける力なのである。>(アレスデア・ヘロン著『聖霊旧約聖書から現代神学まで』〔ヨルダン社〕p1623
雨宮慧司祭は、士師記15章18~19節でサムソンが水を飲んで元気を取りもどしたといわれている「元気を取りもどす」は直訳すれば「彼のルアッハがもどった」となると指摘しておられ、「ルアッハ」は本来「移動する空気・風・息」であることを示しておられる。そこから引き起こす作用への注意へと向けられ、その代表例としてあげられる詩篇33篇6~7節での「ルアッハ」は<「主の口」から出るであり、天の万象を生み出すである。>といわれている。人間に対する作用としてはイザヤ書11章が典型例としてあげられ、<「知恵と識別の霊(何が正しく、何を行うべきかを知る)」であり、「思慮と勇気の霊(判断したことをやりぬく意志の)」である。>といわれ、<ルアッハは神から来て人を動かす力であるから、意志の決断ともかかわりをもつ。>といわれている。その用例としてあげられているのはエズラ記1章5節の「ルアッハを動かし」という言葉である。結局、「力」というのが「ルアッハ」理解の鍵語といえよう。<今まで述べたすべての用例にあてはまることだが、ルアッハの根本的な意味は「魂」ではない。具象的に言えば、「風」であり、「息」であるが、それは神から来る力を表わしている。したがって、ルアッハが「霊」と訳されている場合にも、それは「もの」なのではなく、風のように吹きこむ、神からの力なのである。>そして、最後に<「霊」は「もの」ではなく、人をいのちの道に導く神のエネルギーである。>といわれている(以上、『続・旧約聖書のこころ』〔女子パウロ会〕p1624)。
人間は、飯を食うだけで生き得ているのではなく、その飯を手に入れるべく働くためにも、そして食べて消化、吸収し栄養にするためにも体にエネルギーを必要とするわけで、ものを思うことさえ「思考力」というように力・エナジーを必要とするから、まさに生物ないしは人間の生命の担い手がルアッハである。しかしその事実を認めるためにも、さらにルアッハの風に吹かれて目を覚まさなければならない。それが信仰になるわけだが、その作用は万人に起こることではなく、ヤハウェに召された者のみに起こる。旧約聖書では、元々、万人に普遍的に送られるルアッハがあって、その作用が召された者とそうでない者とで異なるとしているのか、あるいは、普遍的に送られるルアッハとは別に召された者のみに特別に送られるルアッハがあるとしているのか、・・・誰が読んでも明らかに後者である。モーセや士師、預言者など皆そうである。ヤハウェは悪霊や偽りの霊をも授けている。いずれにせよ歴史的には選ばれた民であるイスラエルの中に限定されている。そしてヨエル預言において終末に万人に注がれるというルアッハは預言の霊である。旧約聖書の限界は選民イスラエルという枠組みにある。しかし新約聖書における「聖霊」はヘレニズム思想の影響を受けており、俗なる自分が「聖」なる霊の内在を受けるなど現実味が感じられない。「聖」より「生」が重要なのだ。だから自分は創造信仰に立って旧約聖書の「ルーアハ」(ルアッハ)を、時空を超えた個人単位の働きかけとして受けとめるのみである。

「神の存在は生成の中にある(God's being is in becoming.)」(E・ユンゲル)・・・これも神学者の思弁ではあるが・・・旧約聖書の神観に「人格」か「非人格」か、「超越」か「内在」かといった理屈は無用である。あくまでも信仰すべき絶対他者なる「神」であるから「人格的存在」としての「対象」であることを否定出来ないが(これを否定することは、「信」の宗教ではなく「覚」の宗教に入る事を意味する)、客体化は行き過ぎとなる。創世記32章のヤコブがヤボクの渡しを渡る際に神と戦ったという話では神の顔を見たのでその場所をペニエル(神の顔)と名付けたといわれているが、一方では神の顔を見たら死ぬともいわれている(出33:20他)。ヘブライ人(=イスラエルの民)にとってヤハウェは創造主として自然界と隔絶した聖なる存在であり、表象としては牧者や王などの人間に擬せられてはいるが、本来的な神<観>ならぬ神<感>は、ダイナミックな生命力といったものだったと思われる。その点では遠藤周作氏が「神」を「働き」として感じ捉えたことも、八木神学にも通じる体験知としてわからなくもない。私自身、「神」の存在は「臨在」というような常に身近な感じより、つかず離れずがよい。だから「働き」として感じる程度でもよいが、生命力としては強く感得されねばならない!

「わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。」(詩篇18篇1節/BHS基準では題詞も1節に含めるので2節になる。)預言者はこの力動的な神の霊を受けて恍惚状態に入ったのである。

 

「神の霊が私を造り、全能者の息が私を生かす。」(ヨブ記33:4)※ここの「霊」は「ルーアッハ」。(神の霊)רֽוּחַ־אֵל

「霊=息」→創世記2:7「息を吹き入れた」の「息」は「ネシャーマー」(息、呼吸)

「人々があなたたちを〔当局に〕引き渡す時、どのように〔語ろうか〕、あるいは、何を語ろうかと思い煩うな。なぜなら、語るべきことは、その時にあなたたちに与えられるであろうから。というのは、語っているのはあなたたちではなく、あなたたちの父の霊が、あなたたちの中で語っているからである。」(マタイ10:19~20)

「もしこの私が神の霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の王国はお前たちの上にまさに到来したのである。」(マタイ12:28)

「実際、人間のうちにあるその人の霊をほかにして、人間のうちの誰が、その人のことがらを知っているであろうか。そのように神のことがらもまた、神の霊をほかにしては、誰一人として知ることはなかったのである。私たちはしかし、この世界の霊を受けたのではなく、神からの霊を〔受けたのである〕。それは私たちが、神によって私たちに恵みとして与えられたものを知るためである。」(Ⅰコリ2:11~12)※「人の霊」と「神の霊」との区別。「霊」を人格化しているからといって「霊」は人格的存在ではなく、「神」が人格的存在だからその「霊」も人格的に表現しているにすぎない。「神自身」と「神の霊」とは「不可分」だからだ。ただし「の」という属格に於いて「不可同・不可逆」がある。上記の雨宮氏の指摘のとおり、「神の霊」は「神の力」なり。古代ヘブライ人に於いては「霊」も「魂」も「息」も「風」も厳密に区別されずに使われていたのだろう。

「・・・あなたがたのうちにあって〔あなたがたに〕働きかけ、願いを起こさせ、働きをなさしめる方は、まさに神だからである。」(フィリピ2:13)※八木誠一氏が場所論的テキストの代表の一つとする箇所(『<はたらく神>の神学』4頁参照)だが、ここで「あなたがたのうちにあって働きかけ・・・」るお方とされている「神」を、私は「神」ではなく「神の霊」と解する。「神」と「神の霊」は不可分だが、人のうちにあるのは「神の霊」とすべきだと思う。「神」自身はあくまでも「天」にある。「神」の代わって「地」でその「働き」をなすのは「神の霊」であり、「神の遍在」とはこの「神の霊」の「働き」にほかならない。だから「神=はたらき」という遠藤周作氏的解釈は受け入れないし、八木氏のいう「神のはたらき」は「神の霊のはたらき」と受けとる。私は八木氏が場所論的だと評価するヨハネ神学(特に「手紙」の方)はなじめないのだが、下記の聖句は、まさに「神」とその「霊」とを混同しやすいので解釈が必要だ。

「神をかつて観た者は誰もいない。もし私たちが互に愛し合うならば、神は私たちの中に留まり、その愛が私たちの中で全うされるのである。/私たちが彼の中に留まっており、彼自身が私たちの中に留まっていることを、彼がその霊を私たちに分け与えて下さったことによって、私たちは知る。」(Ⅰヨハネ4:12~13)

まず、大貫隆氏が「観た」と訳したギリシャ語動詞「テセアタイ」は「セアオマイ」の現在完了3単で、その「セアオマイ」は岩隈直氏の辞典によれば「肉眼で見つつ霊的・超自然的なものを看取する」とのこと。織田昭氏の小辞典では「眺める」だけ。この「・・・誰もいない」はヨハネ福音書1:18と同じだが、果たしてそう言い切ってしまってよいのかも疑問である。というのは「神は不可視」とはされていても(出エジプト記33:20他)、旧約聖書の古い伝承には所謂「見神」があり(創世記32:31、出エジプト記24:10、民数記12:8他)、対象は同じ「神」であるから、その場合の「見る」をここでの「観る」と区別しきれるわけではないからだ。ヨハネ1:18は、この「・・・誰もいない」を「ひとり子なる神=イエス・キリスト」の特別性の根拠にしている感じだが、こちらはどうだろうか。こちらも同様だろう。さて、私の解釈だが、「神は私たちの中に留まり」の「神」は「神の霊」とみなければならない。パウロはいう、「私たちに与えられた聖霊をとおして、神の愛が私たちの心のうちに注がれているからである。」(ローマ5:5)

「神」は全能で「霊(体)」で遍在可能であるとは言え、私は神の実体的遍在は信じない。「神の遍在」というのは「神(本体)」が被造物万有に内在するということではなく(・・・それは、「超越」性もあろうと、私にとっては、「父なる神」の実体性を曖昧にする点で汎神論と大差ない。)、あくまでも「神の霊」の自由自在なる活動を「とおして」、そこに「神」の意志が実現されるということだと取る。「神の霊」は在天の「父なる神」と不可分であり、時空を超えて一体だから、「神の霊」が私たちの中に留まるということは、「神の実体」が私たちに内在するというふうに受け取ることは誤りだが、「神の作用(=はたらき)⇒」が私たちに内在しているとは言える。人に内在するのは「神そのもの」ではなくその「霊」であり、そのはたらきである「愛」である。そのように解せばよい。

<「神(キリスト、聖霊)に『あって』」という句は、「神を根拠として」という意味にもなる。「人が神のなかで」と「神が人のなかで」との両方で、人間は神によって生かされること(受動)、他方、人間が自由な主体として生きること(能動)が語られる。能動というのは、神のはたらきが、私が私であることを成り立たせるからである「私が生きているということは、キリストが私のなかで生きていることだ」(ガラ二20、ピリ一21参照)。以上は本書の主題の一部だから、繰り返し問題にする。ここで読者は、(キリスト、聖霊)が場所論では「霊」として把握されていることに気づかれるであろう。実際そうなので、「霊」は目に見えず形もなく遍在しているから、事物・人は霊の作用圏内にある。他方、霊は人(ないし事物)に宿って出来事を生ぜしめる。「霊」は人格や存在というよりは、「はたらき」である。人間や事物に霊が宿るという場所論的感覚はきわめて普遍的で、多くの宗教に見られるところである。>(八木誠一著『イエスの宗教』〔岩波書店〕p3)

<釘が磁場のなかにあるとき、「磁性を帯びて」相互作用が成り立つということが、この場合はよい比喩となる。「神は君たちのなかにあってはたらき、意志とはたらきを成り立たせる」(ピリ二13)、「万物のなかにあって万事を成り立たせる神」(Ⅰコリ一二6)が場所論的神の基礎文である。要するに、人に「宿る」神のはたらきが人のはたらきを成り立たせるのであって、「場」のなかで神が直接に人を動かすわけではない。この点は誤解のないようにされたい。>(同上、p19~20)

「神の霊」とは神のはたらきを人間において現実化する(神の)作用のこと>(同上、p126)

「私たちが彼の中に留まっており・・・」という「私たち」と「彼=神」との相互内在は、このように存在論的意味ではなく作用論的に解さなくてはならない。その作用(=はたらき)の主体はあくまでも「神」であって他力である。「彼の中に留まる」とは、神の愛の働きの中で、神の支配の中で、要するに「私たち-神」の相互内在とは神関係の現実の中で生かされているという実感の表現である。

 

<人に宿る神が「神の子」なら、神の自己伝達作用があることになる。神の子とは、人に対する神の自己伝達作用の結果である。とすればこの自己伝達作用は聖霊に当たる。事実、新約聖書では聖霊とは神の自己伝達作用である。聖霊が「鳩のように」降って、イエスのなかに入ったとき、イエスは神の子とされた(マコ一10-11)。〔中略〕「神」と「子なる神」と「聖霊(神の自己伝達)」は三位一体の関係にあることになる。それぞれが、区別されながら、同一である。>(同上、p25~26)

 

 

聖書的宗教にも「 摂取不捨の利益」に相当するものがある。
<「摂取不捨」とは文字どおり、〝摂め取って捨てぬ〟ことであり、「利益」とは〝幸福〟のことです。 〝ガチッと一念で摂め取って永遠に捨てぬ不変の幸福〟を、「摂取不捨の利益」といわれます。「絶対の幸福」と言ってもいいでしょう。人生の目的は、時間をかけて徐々に完成するのではありません。人生の目的が果たされるのは「一念」です。>(親鸞会のブログより)http://www.shinrankai.net/2010/05/hika.htm

親鸞聖人のように自分自身の煩悩の深さを素直に認め、受け入れて、救われ難い自分をそのあるがままにゆだねる対象を得なければならない。「父(なる神)を有つ」(Ⅰヨハネ2:23他)とはそういうことでもある。それは自分にとっては阿弥陀仏でもなければキリストでもなく、つかず離れず、無色無臭無性の無制約なる神しかいまい。ただしこの「神」はヤハウェという固有名における実体を有する。我々凡夫は、詩篇の詩人の如く「ヤハウェ」に煩悩深きわが身をゆだねまいらせる以外に救いの道など無い。 

ラテン教父のラクタンティウスは、「実に、父は子を愛し、すべてを子に授けられ、子は誠実に父に従い、父が望まれること以外は望まれないのであるから、ふたりおられるかのように言って、これほどの親近関係を引き裂くことはできないのである。両者において実体(substantia)と意志と真実(fides)は一つなのである。従って、子は父をとおして、父は子をとおして〔存在されるのである〕。それ故、ひとりの神であるかのように双方に一つの栄誉を帰さねばならない。二つの崇敬によって〔祭儀は〕区別されねばならないとしても、その区別そのものは切り離し得ない結合(compages)によって結び合わされているのである。父を子から、子を父から切り離す者は、いずれをも自分に残さないのである。 」(小高毅編『原典 古代キリスト教思想史 3 ラテン教父』〔教文館〕p23~24)と述べているが、まさしく詭弁である。ここでは科学が無かった時代の人間の思考ゆえか、「実体的一」と「作用的一」とがまさに「結合」されてしまっている。10:30などを実体論的に解した誤りである。父なる神と子なるキリストの両者に「ひとりの神であるかのように双方に一つの栄誉を帰さねばならない」と言うがヨハネ福音書ではどうか?イエスは父に栄光を帰しているではないか(7:18、8:50,54,14:28、17:1他)! そしてイエスは自分が「父」と相互内在している主旨のことは述べているが実体が一つであるなどとは述べていない。むしろ一ではなく二であるとしている(8:17)。御父と御子との「実体的一」は、さらにⅠコリ15:28にも反する。このように古典的三位一体の教理は、ギリシャ哲学による実体論的聖書解釈を前提としている。しかしその前提自体が明らかに誤りであることは、何にもよらず自分は確信し確認できている。歴史とは「ヒストリエ」すなわち、「それはだれに対しても実証される一つの事態、だれもが追認できる一つの事態のこと」(~荒井献氏)であってそれ以外ではない。現実の土俵はこの意味での「歴史」しかないのだ。だからイエスはあくまでも「人」であって、「神」ではあり得ない。それが現代人である自分の思考の限界であり、この枠を超えてまでイエスを神化せしめる必要もなければ、意味もない。この枠を超えることは、自分自身にとってまさに「過ぎたること」である。

 

「永遠の命、それは唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストとを知るようになることです。」(ヨハネによる福音書 小林稔訳)

 

「それゆえに、あなたがたは互いを受け容れなさい。ちょうどキリストもまた、神の栄光のために、あなたがたを受け容れて下さったように。」(ローマ人への手紙15:7青野太潮訳)

 

「あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものなのである。」(コリント人への第一の手紙3:23 青野太潮訳)

 

キリストの頭は神であるということを、あなたがたに知っていてほしい。」(同上 11:3 同訳)

 

「すべてのものがキリストに従わせられる時、その時には御子自身もまた、すべてのものをキリストに従わせた方に従わせられるであろう。それは、神がすべてのものにおいてすべてとなるためである。」(同上、15:28 同訳)

 

<パウロにおいて、キリストは神に従属するという神中心主義が強固に横たわっている>(青野太潮著『「十字架の神学」の展開』p5)

 

「一コリント一五章においては、キリストの支配がはっきりと神の主権の前で限定されたものとなっている。」(同上書 第一部 5章)

 

「事実、神は唯一人(ただひとり)、神と人間との仲介者も人間キリスト・イエス唯一人。」(テモテへの第一の手紙2:5 保坂高殿訳)

 

 イエス・キリストの人格についての問に対する答は「神」とか「人」とかと答うべきではなく、ただ「神の子」と答うるのが聖書に基づく答であります。「神の子」は先在においても、受肉しても、死して甦って昇天しても、常に「神の子」と呼ばれて充分でありまして、それが聖書の語るイエス・キリストなのであります。>(小田切信男著『キリストは神か(聖書のイエス・キリスト)- 北森嘉蔵教授との討議を兼ねて- 』〔待晨堂書店〕p15)

 

<キリスト・イエスはいかなる意味においても自らを「神」として物語り且つ示しはしなかったのであります。たとえ神にひとしいとまで語られても、神への従属的地位を外す事がなかったのであります。>(小田切信男著『福音論争とキリスト論』p145)

 

「万物がキリストに帰一して、然る後に神に帰一することが、救済の完成でありますから、キリストの業の終る所がある訳であります。そこにキリストの仲保者性の限界があると言えるでありましょう。」

(同上、p215)

 

<神学と呼ばれる世界の言葉の遊戯は「イエス・キリストのみが――全知なる神である」となって「父なる神」を見失ってしまっております。これは大変なことだと思います。>(同上、p263)

 

神はやはり唯一の神――父なる神――であっても子なる神とも、また純粋の霊だけの神とも語られません。要するに三位一体論そのものが、神を客観的にあげつらう論理として既に思い上った論理であります。そしてこれは、イエスも使徒も語らなかった神観であり、明らかに異教化したものと言えましょう。キリスト教界はこの三一神観という信条・教理についても福音の光で検討を加え、多神化しようとするキリスト教の異教化を徹底的に排除すべきではありますまいか。>(同上、p366)